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「生きる」の前には「幸せに」

モモ、一緒に暮らし始めた最初の夜、「一人でいたくない」とキュンキュン夜泣きをするものだから、「私はサークルに入れて放っておけばそのうち夜泣きをしなくなる」というアドバイスを放り捨てて、一緒のベッドで眠ることにしました。
だって、子供が寂しくて不安で泣いているんです。
私は鬼ではありませんから、放ってなどおけるものではありません。

その時に、私は「飼い主」ではダメだ、「お母さん」であらねばと思ったのですが、
でも、犬のお母さんは、やっぱり犬であるのが一番でしょう。

早い時期から親から離すと社会化が不十分になり、問題行動を起こしやすくなるというのは多くの人が知るようになりました。
モモが生まれた2000年から、時代はほんの少しだけ動いたかもしれません。
「犬大好き!」という知り合いにその話をすると、「でも子犬は可愛いから子犬から飼いたい。」とそう言います。
早い時期に親から離すのは良くないと知ってもです。

まったくモモ達はかわいそうなもので、自分を選んだ相手によって幸・不幸が決まります。
私のように、不満や納得がいかなかったら会社を辞めて別の仕事を探すとか、
自由になりたかったり自分の生活スタイルを守りたかったら一人で暮らしていくだとか、
そういったことが出来ません。

去年初めて保健所に行き、収容されている子達をこの目で見てきました。
動物愛護団体にも、少しの間通ってみました。
今でも保健所サイトのチェックは、毎日の習慣です。
コーギーだって何匹もいたんです。

たくさん見たり聞いたり調べたので、裏の裏まで直接見なくても、悪い事への想像力はかなり豊かになりました。
「そんな事をしていたの!?」から、「そんなこったろうと思ったぜ。」に変わることが出来たのです。(嬉しくはない)
「殺処分0」と謳う保健所が出てきたり、動物愛護団体の活躍が目立ってきたり、一見動物愛護が進んでいるかのように見えなくもありませんが、現実はまだまだとても足りているとは言えません。
殺処分していなくとも、それがイコール犬猫に優しい良い環境というわけではもちろんありません。
動物愛護団体も、寄付や支援物資などで応援する前にはちゃんと調べてからでないといけません。
実際、愛護どころか生死に関わる虐待状態になっている所もあるんです。

一番驚いたのは、一人の老人に3ケタの数の犬という環境で、保護をうたい募金を集めるようなことが行われていると知ったこと。
現実的に、老人一人で100頭超えの犬の面倒などはみれるわけがありません。
保護などされていないということは、火を見るよりも明らかでしょう。ただの多頭飼育崩壊です。
こんな所を支援しては、犬の不幸が続くだけで、それを応援してしまうということになるんです。
良かれと思って間違った所に間違った形で応援をすると、その間違いは延々と続き、悪くすると大きく膨れ上がってしまうのです。

犬達は「生きていけるか・いけないか」ではなく、
「幸せになれるか・なれないか」で考えなければいけません。
前者の方が重要に思われがちなのでしょうが、不快や不幸が延々と続くような人生なら、私なら耐えていけません。
モモ達は、ご飯をもらい医療を受け、死なないように生きられればそれでいいというものではありません。
「生きる」の前に「幸せに」という、形容詞が必要です。

今日は、幼少期のモモの写真。
ほんの何枚しかない、小さな子供の頃の写真。
モモがあんまり可愛くて、一生懸命お世話をし、一生懸命かまい過ぎないようにしていたら、カメラを持つことまで気が回りませんでした★

「生きる」の前には「幸せに」の形容詞が必要です
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